火星の向こう側

日記と言うか気まぐれ雑談

存在の証明/ストピ問題

実は地元にはあまりストリートピアノがなくて、都心の賑わっているストピ(以降ストリートピアノの略)が羨ましかったりする。

以前、某駅で子と待ち合わせ時間を潰している間、駅構内にあるストピのところに行ってみた。長椅子がいくつか並んでいてゆったりくつろげる空間。自分は弾けないので近くの椅子に座って演者を待っていたのだけど、中年男性(ご夫婦っぽい)が某有名ディズニー曲を弾き始めた。好きな曲だったし普通に楽しく聴いていて、終わったら拍手をするべきか?などと悩み始めた。(ギャラリーはほぼ1人💦)でも、途中でつっかえてしまい、同じところを何度も戻って弾いていた。…不快ではないのだけど、なんか気まずかった。もうちょっと遠くの椅子に座っておけば良かったかな。😓拍手を期待して弾いているわけでもなさそうし、気にすることもないのだろうけど。

その後、遠くの椅子に移動し、何人か奏者が訪れるのを見ていた。小学生くらいの男の子がバッハの「主よ人の望みの喜びよ」を丁寧に弾いていて上手だった。癒された。(でも拍手する勇気はなかったごめんなさい)

巷で話題になっているストピ問題、一言で不快な音と言ったって受け取る側に委ねられる部分が多いし、ルールで取り締まるのは無理だと思う。近所で子供がピアノの練習をしていたとして、毎回同じところでつっかえていたら、やっぱり気になってしまうと思うし。

大体、ストピ撤去問題の発端って、音楽以前の迷惑行為が問題になっていたはずで、どこまでが不快か?という議論は不毛だと思う。

 

最近、Twitter上で、ストピで緊急地震警報の音を鳴らしている動画を見付けた。奏者は10代位の若い女の子。これは誰が聴いても不快な音でしょ。苦情が来ても仕方ない。(ストピ撤去された場所とは違うが)

驚いたことに本人による投稿で、もちろんリプ欄は非難の嵐。やっている本人も迷惑行為だと分かっているのだろう。

リプの中でトー横キッズという言葉を見付け、詳しく知らなかったので調べてみた。こういう子達のことをそう呼んでいるらしい。

 

トー横キッズが歌舞伎町に居場所求める本当の訳 #東洋経済オンライン @Toyokeizai 

toyokeizai.net

 

学校や家庭に馴染めなかった子達が家を出て都会の片隅で身を寄せ合って暮らしている。家庭に馴染めない ー 普通に暮らしている人間には想像し難いが、家庭で虐待を受け逃げてきた子達が多いらしい。(以前、一月万冊の今一生さんが子どもの虐待問題について語っていたので、自分はなんとなく理解出来る。)

緊急地震警報の音を鳴らした子はピアノが弾ける子かもしれない。おそらく耳コピで不快な音をそっくり再現した。それってただの嫌がらせじゃなくて、心の叫びなんじゃないかな。悲しい。

ストリートピアノの華やかな部分だけ見て癒される人々がいる一方で、綺麗なところだけ切り取ったって上手くいかない。不快なものを排除していけば、誰もが楽しめるようになるのか?

本当はコミュニケーションが必要なんだと思う。「その音は不快だからやめて、どうしてそんなことをするの?」と。

ストピで長時間練習している人がいたなら、「自分も弾きたいから代わって欲しい」と。

とは言え、昨今は物騒な事件も多いし、怖くてそんなこと言えないよね。見て見ぬふりしようとなる、私もそちら側だ。日本人はコミュニケーションが苦手だと思う。

一人一人が不満を抱えながら言えないでいる。その結果、声の大きな人の意見が罷り通り、本来あるべき構造と別のものが出来上がってしまうのではないだろうか。人々の鬱憤が違う形で噴出して、弱者叩きになったりする。結果的に住みにくい世の中になっていく。

新宿で深夜にバスカフェ(バスを喫茶店として改装)を運営している団体がいる。(社長は女性)色んな事情があって家を飛び出して来た女の子達(10代)のシェルターとなっていた。家に帰れず繁華街を放浪する若い女の子達は性犯罪のターゲットになりやすい。だから、彼女達が一息つける場所だったはずだ。なのに、ネットの風評被害により団体への批判が集まり、東京都から出ていた補助金がカットされた。(補助金が受けにくい制度に変えたため受けられなくなった。)しかも、一部の政治家を含む嫌がらせ行為を受け、今は限定的な営業となっている。

東京都は街を綺麗にするために地下街や公園から路上生活者を追い出し、ボランティア団体が炊き出しを行う場所まで封鎖した。そこで暮らしていた路上生活者は移動を余儀なくされ、街は綺麗になった。それは本当に美しい街なのか?

 

緊急地震警報の音を鳴らした女の子はピアノが好きなのだと思う。でも、自分の姿が他の人に見えているのか確かめたかったのかもしれない。

帰る家もなくその日暮らしの彼女達にとって緊急地震警報はどうでもいいことなのかもしれない。私、本当にここにいるのかな?と。

 

自分は彼女達とどう違うのだろう?

過去に虐待を受けたこともないし、ありがたいことに人並みの生活は送れている。でも、今後どうなるかなんて誰にも分からない。誰もが彼女達のようになる可能性だってあるわけで。弱者となってから、切り捨てないで!と叫んだところで手遅れだ。

今の日本は本当に弱者に冷たい。いや昔からかもしれないが、少なくともそれを変えようとしている政治家はいる。でもそれを選ばなかったのは国民だ。

そう言えば次の選挙で小池百合子橋下徹とタッグを組もうといているとか。(一月万冊のサムネを見ただけで気分が悪過ぎて中身見てない🙇‍♀️)まあ政界では昨日の敵は今日の友なのでよくあること。来週には心変わりしてるかもしれないけど。いやこれ以上日本を地獄に突き落とすのやめて!

 

尚、一月万冊の今さんは若者の貧困や家庭の虐待から若者を救う活動をしていて、市民団体と共に子どもの問題を専門に扱う「子ども庁」の設立を要望していた。(これまで子どもに関する様々な問題を各省庁たらい回しにされて大変だったから専門の部署を必要としていた。)なのに、子どもを個として認めたくない自民党は「子ども家庭庁」にして家庭とセットの扱いにしてしまった。虐待から子どもを救うと言う目的とは真逆。それでも、専門家で扱う部署が出来たことは一歩前進と思うべきか。